田七人参 漢方
漢方から田七人参にせまる
漢方の王様 人参 そのような例えは何故生まれたのでしょう? そもそも漢方って何? 中国漢方からみた田七人参にせまるページです
漢方の概念
漢方の考え方
ひとこと漢方と言っても、考え方・診断・治療には種類があります
考え方として有名なのは
- 気血水理論
- 陰陽五行理論
これらの知識をベースに以下の四診で判断します。
- 望診(ぼうしん) 肉眼による観察
- 聞診(ぶんしん) 耳・鼻による観察
- 問診(もんしん) 患者の環境を問う
- 切診(せっしん) 患部に触れる・脈診・腹診
漢方では、四診後に行う 治療方針を決めることを”証”といい これが最終的な診断となります。
また実際の治療には
- 排毒
- 漢方薬・薬膳
- 針
- 灸
- 気功
等が用いられます。
漢方の治療中は
漢方における田七人参などは漢方薬もしくは薬膳に分類され、経口して体に入れます。”証”(診断)の後の治療中にも
- 誤治 ”証”に合わない治療法
- 過反応 体に合わない・過敏症
- 瞑眩 治療法が効果が出る前に一過性の症状が出る
などが出る場合があるので 漢方的な治療中 経過観察はとても大切です。
漢方薬に副作用は
漢方薬だから副作用がないというのは間違えで、実際には”証”(診断)が正しくても、その後の処置などにより過反応・瞑眩反応などでる場合もございます。 また漢方薬の場合には以下のような分類があり それぞれ生薬や薬草によりそのランクが決まっています。
上薬
甘草、桂皮、人参、山薬、大棗、胡麻、地黄、五味子など
生命を養うを主とする 無毒 長期服用しても人を害しない 身を軽くし、体を益す 不老長寿
中薬
当帰、川芎、柴胡、芍薬、葛根、乾姜、麻黄など
人に応じて無毒と有毒とがある、病を防ぎ、体力を補う、組み合わせにより有毒になる
下薬
大黄、附子、半夏、黄柏など
病を治すを主とし、毒性も強いので、長期の連用はつつしむべし 副作用あり
神農本草記からの中国漢方薬
神農本草記
神農本草記は神農の伝説の物語であり 作者は不明 中国最古(後漢AC25~頃)の薬草辞典 内容は365種類の薬草を上薬・中薬・下薬に分類し整理されたものである。また神農本草が後年追記され現代には本草網目として残っています。
漢方薬とは神農本草に記載のある薬草を基礎に それら数種類を混ぜ合わせることにより、薬草の特徴に指向性を持たせる(※特徴を強化したり・弱めたり)ことに成功したのがきっかけに 薬草食から漢方薬へと発展していきます。
中国から広がった漢方
漢方の知識は中国から5~6世紀(隋)のころに日本に伝わるも 材料のすべてが手に入らるわけではなく書物として伝えられました。食べ物を薬として用いるのをベースに室町時代以降、日本独自の材料などから日本独自の漢方は発展し安土桃山時代に庶民に普及したと言われています。
世界的に見ると韓国や中国では伝統医と呼ばれる資格があり日常的に またヨーロッパなどでも薬効のある植物ハーブとして伝わっていき 現在では薬効のある食品と言う分野が確立されつつあります。
残念ながら、日本では、新明治政府の方針で今までの東洋医学から西洋医学に方針転換し、日本国内では食べ物を薬としての漢方は衰退していきます。
田七人参が”漢方の王様”と呼ばれる理由
「漢方における上薬とは人参」 これは昔から言われている言葉で、この人参とは=御種人参(ウコギ科の多年草)の事をいいます。
中国最古の薬草辞典「本草網目」のなかで人参は食べ合わせで問題も出ず、最上の上薬であると記載があります。
田七人参が漢方の王様と言われるゆえんがそれです。
※ちなみに今 皆様の目の前にあるニンジンは、せり科の西洋ニンジンでアフガニスタン原産なんです 明治以降日本に入ってきました。
田七人参主原料とした漢方薬
田七人参(三七人参)は中国では古くから漢方薬の主剤として使われています、詳しくは下のリンクから
まとめ:田七人参 漢方
その効果や神話性 もちろん副作用や飲み合わせの問題がないことから、「漢方の王様と呼ばれる 田七人参」 もちろんその他の上薬である甘草や桂皮など有名な漢方薬はございますが、やっぱり「漢方の王様と呼ばれる 田七人参」だけなのです。
「漢方の王様と呼ばれる 田七人参」ですが、その食し方にもポイントがあります。
基本的に「田七人参は粉で」
田七人参の有効成分であるサポニンは様々な種類があり、また様々なサポニンの種類が混ざり合っています。錠剤やエキスなどの場合 サポニンの種類に制約が生まれたりしてその内容は定かではありません。
気を補填して 腫れを鎮め 血液を循環させる 田七人参はそのままでこそ「人参の王様」なのです。
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