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中国茶の歴史 茶的利用編

お茶の歴史を語る上で様々な主軸があります。このページではお茶の利用の変遷を主軸に少し解説していきます。

毛蟹_茶畑

喫茶の習慣で飲まれるお茶は歴史的に見てどのような変遷があったのだろうか? 最初から飲んでいたのか 飲んでいないとすればどのようにしていたのだろう そんな疑問をちょっと探ってみました。

茶葉の活用変遷

BC2737~BC480

お茶を挟んで会話する中国の坊主

まだ、文字のない時代 さらには神農以前の話

茶葉は噛んでいたという

当時からお茶の葉は高貴なものとして高名な人物の葬式や地方のお祭りで象徴として使われていました

BC480~BC25

神農像

演変成菜 (象徴から食へ)

神農常百草得茶勿解

神農は一日七十二毒にあたりながらもお茶を噛むことによりそれを(解毒)行う

※1 神農、炎帝神農は、古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人。人々に医療と農耕の術を教えたという。神農大帝と尊称されていて、医薬と農業を司る神とされている。薬王大帝、五穀仙帝とも。 ウィキペディア参照

※2 神農には頭に牛のような角とお腹が水晶で透けており、毒にあたると水晶が汚れお茶を噛むことによりお腹の水晶の汚れがきれいになっていったと。

※3 神農が1日72毒にもあたりながら食したのは人間がどれが食べれて どれが食べれないか判断するため それらをまとめたものが「神農本草記」

※4 日本では「神農本草記」もとにした薬草辞典「本草網目」江戸時代初期に徳川家康に献上されています。

いろいろな植物が食べられるようになった時代 もちろん毒にあたることも そのような時にお茶を噛むことにより解毒したと

この時代ではすでにお茶には解毒作用があると言われ、積極的にお茶を食べるようになった時代とも言われています。

BC25~AC580

お茶の薬用発展

発展葯用

お茶のだんだんと知られ 薬用としての発展が進んだ時代

  • 生米
  • 生茶
  • 生姜

これら体に良いものとして、庶民からも認知され始めます

少し脱線しますが、

三国志の最初のところで体調の悪い母のためにお茶を買おうと若者だった劉備玄徳が黄河のほとりで洛陽船を待っています。

洛陽船が着きお茶を買いますが、このお茶が黄巾党の下っ端に目を付けられ お茶と刀を奪われてしましまい物語が・・・・まあこれは横山光輝先生の漫画版の話ですが

AC580~現代

蓋路地でお茶を飲む

飲用発展の継続

お茶の飲用が一般的になる時代です。

当時は庶民の手に届かず贈り物として これ以前の飲用は茶葉を煮出していたと言われていますが、この時代以降茶葉は今の煮出さない飲み方になったいわれています。

茶葉の活用変遷 まとめ

お茶の活用方法は

噛→食→薬→飲

このように「噛む」から変遷してきて、AC580以降は「飲む」に落ち着き 今現在へとつながっています。

記事の中にしっかり何年とか書いていますが、これは中国福建農業大学留学中の座学ノートから書き起こしています。

中国では古い歴史であっても「何年ごろ」とかあいまいな表現は少なく「何年」とはっきり標記するのが一般的です。

このページではお茶の活用方法からの歴史を書いてみました。

今後は中国茶の本からとか

輸出の歴史とか

種類品種的な歴史とか様々書いていく予定です。