大紅袍 岩茶の王様
大紅袍 岩茶の王様
四大岩茶の長男 岩茶の王様 大紅袍
岩茶の中でも大紅袍は外せませんというか、これから岩茶が有名になりました。このページでは岩茶で一番有名である大紅袍の事を書いていきます。
大紅袍の原木は、武夷山天心岩付近の九龍窠(きゅうりゅうか)最後列の岩下に自生し、茶木の両側には真っ直ぐに切り立った岩壁がそびえています。
大紅袍の産地 武夷山と名前の由来
場所は非常に険しく、土壌は潤って肥沃であり、周囲は岩壁に囲まれているため、日照時間が少ない等の茶葉の生長に最適で、自然条件にとりわけ恵まれています。
何故「大紅袍」と言う名前がついているのでしょう実は、それにまつわる伝説があります。清の時代、首都へ科挙の試験を受けに急ぐ1人の秀才(地方の科挙試験に合格した人の称号)が、途中で腹痛を起こし、病に倒れました。
ちょうど通りかかった天心寺院の住職は、秀才を寺院へ連れて帰り、九龍窠で採ったお茶を秀才に飲ませました。秀才はそのお茶を飲むと、すがすがしい香りが体の中へ流れ込み、疲れが軽減したように感じ。暫らく経つと、腹部の痛みも消え、元気になりました。
その後、秀才は殿試(科挙の最終試験)に合格し、状元(主席合格者の称号)で卒業。状元となり、命の恩人に感謝するために、武夷山へ出かけ、住職に不思議な効き目のお茶を是非見てみたいと尋ねます。
住職は状元を案内し、険しい岩壁に生える高さ3~4メートルの3本の茶木を見せた。幹の部分はくねくねして、表面はコケに満ちており、濃い緑色の葉っぱと葉っぱの間には、赤紫色の茶葉の新芽が出ています。状元は住職に了解を得て、少しの茶葉を持ち帰りました。
時の皇帝に認められた大紅袍
状元が首都へ戻って暫らく経つと、今度は皇后が腹痛を訴え病に倒れます。侍医がなすすべも無く手をこまねいていた時、状元は持ち帰ったお茶を皇后に献上しました。すると皇后の病状は一気に良くなり、皇帝は非常に喜んで、状元に真っ赤な長い衣を与え、武夷山の茶木に対して賞を授けることを託しました。状元は当時訪れた場所へ行き、茶木に真っ赤な長い衣を掛けた。それ以来、同茶は「大紅袍」と称され、毎年皇帝へ献上されるようになったとさ。
岩茶の王様 大紅袍
別名「岩茶の王様」。様々な伝説が残る大紅袍ですが、現在残っている樹齢300年超の原木はわずか数本のみです(写真)。お茶は年間1kgも採れません。そのため、ある香港人のお茶通が250万円/20g(!)で購入したという話は有名になりました。
大紅袍の世代とは?
慶光茶荘の大紅袍は第二世代・第三世代です。 ※株分け植林したお茶の木を武夷山周辺の育てやすいところで育てた茶葉 大紅袍らしさを残しながらお求めやすい価格の大紅袍になっています。
※2 大紅袍の株分け植林した茶葉を小紅袍と呼ぶ場合もございます。
まとめ 大紅袍 岩茶の王様
中国茶に興味のある方で岩茶はさけて通れません。その中でも一番有名な大紅袍は味や香りはもちろんのこと、まつわる話も豊富です。
時を感じながら、ぜひ大紅袍を味わってみてください。